主人公はサルのシーザー、主演はアンディ・サーキス
前作から10年。人間社会はウィルス・パンデミックで崩壊し、サンフランシスコ近郊の森に、シーザー率いる高度に進化した猿の集団が暮らしている。言葉を操り、掟を定め、家族を愛し、狩りで食を得る──まるで人間の原始共同体のような秩序を、彼らはすでに築いていた。
ある日、ダム工事のために森に入ってきた人間の一団と接触する。シーザーは「争いたくない」と告げて追い返すが、人間たちは電力不足に陥り、再びダムを必要とする。マルコムという良識的なリーダーの懇願に、シーザーは条件付きで作業を許可する。和平への一歩──そう信じた瞬間だった。
しかし、かつて人間に片目を抉られたコバは、信頼などという言葉を信じない。コバは密かに人間の武器庫を襲い、銃を手に入れる。そしてシーザーを撃ち、猿たちの間に「人間が裏切った」という偽りの火種を撒く。内戦が始まる。
見事なのは、この裏切りと戦争の連鎖が、決して単純な善悪二元論ではないことだ。シーザーは平和を望みながらも、種の存続のためには戦わざるを得ない自分に苦しむ。コバは復讐に燃えながらも、その憎悪の根源が人間による凄絶な虐待にあることを、観客は知っている。どちらも「正しい」と言い切れない。だからこそ、ラストのシーザーとコバの対決は、ただのアクションではなく、痛ましい悲劇として胸に刺さる。
映像の完成度も驚異的だ。雨に濡れた毛並み、表情の微細な動き、瞳に宿る感情──アンディ・サーキスのモーションキャプチャーは、もはや「演技」と呼ぶしかない領域に達している。人間俳優と並んでも違和感がないどころか、むしろ猿たちのほうが感情の深さが勝っている場面すらある。
この作品が恐ろしいのは、戦争を始めるのが常に「悪意」だけではないことだ。恐怖、誤解、過去の傷、そして「自分たちを守らなければ」という、誰もが理解できる動機が、少しずつ歯車を狂わせていく。シーザーが最後に見据える遠くの地平線には、すでに人間の大軍が迫っている。あの穏やかな森は、もう二度と戻らない。
痛いほど切ないが、同時に圧倒的に面白い。シリーズ最高傑作と呼びたくなる、静かで重い一撃だった。
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