主人公は美容室を経営する妻のジェーニャと 一流企業に勤務する夫のボリス、アンドレイ・ズビャギンツェフ監督
冬のモスクワ近郊、凍てつく森と川が息を潜める。そこに、12歳の少年アレクセイが現れる。赤白のビニールひもを拾い、木の枝に絡めて遊ぶ彼の無邪気な姿が、物語の幕開けを告げる。だが、画面はすぐに冷徹な現実へ移る。美容室を営むジェーニャと、一流企業勤めの夫ボリスは、離婚を巡る苛烈な口論を繰り広げ、息子アレクセイを互いに押し付け合う。愛などない夫婦の「ラブレス」な日常が、容赦なく描かれる。
翌朝、アレクセイは朝食を残して家を飛び出す。両親はそれぞれの「新しい人生」へ急ぐ。ボリスは同僚の忠告を無視し、臨月の恋人マーシャと甘い時間を重ね、ジェーニャはエステで他愛ない世間話を交わし、夜は彼氏のベッドで慰めを探す。こうした前半の描写は、まるでロシア中産階級の退廃を延々と列挙するかのようだ。監督の意図か、単なる水増しか。時折挿入されるTVやラジオのニュース――ウクライナ紛争の惨状――は、家族崩壊のメタファーか、それとも単なるノイズか。いずれにせよ、観客の苛立ちを煽るばかりで、謎めいている。
事態は急変する。アレクセイの失踪。学校からの連絡で、二日連続の欠席を知らされた両親は、互いに非難を浴びせ合う。警察は「家出だろう、数日で戻る」と冷ややか。犯罪性の薄いケースに、捜索は後回しだ。そこで現れるのが、市民ボランティアの捜索隊。リーダーの男は、まるで私立探偵のような権限を振りかざし、ネットで集めたボランティアを動員。防犯カメラの解析、近隣捜索、果ては遺体確認まで。ロシアの現実を映すこの組織の存在に、思わず息を飲む。法の網の目が粗い社会で、民間が空白を埋める――それは、希望か、絶望の産物か。
見どころは、何と言わずともラスト15分。凍土に埋もれた少年の遺体。ジェーニャの「違う、これはアレクセイじゃない」という叫びが、胸を抉る。DNA鑑定の提案は、家族の絆など幻想だったことを、残酷に突きつける。監督の前作『レビュナント』同様、ズビャギンツェフは人間の無力さを、神の不在の中で描く。だが、ここではロシアの寒冷地帯が、感情の荒野を象徴する。
全体として、愛の欠如がもたらす「無音の絶叫」を、静謐な映像で追う佳作。だが、前半の不倫エピソードは冗長で、紛争ニュースの挿入は唐突。社会批評の鋭さを、もっと研ぎ澄ませば満点だったろう。失踪の恐怖が、日常の脆さを暴く点で、記憶に残る一本。家族の解体が、現代ロシアの鏡像であることを、静かに噛み締めよ。
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